【[下町芸術大学]東充さん・増田匡さん「明日は太陽の輝く町に」 | 上映会・トークレポート】 2021.10.27

全国初の再開発と言われる、「大橋地区市街地改造事業」。インフラ整備によって西神戸を近代的な商業地にするべく、 1962年(昭和37年)に始まった、新長田一帯の大規模都市改造計画です。今回の下町芸術大学では、そんな「大橋地区市街地改造事業」の記録映像を鑑賞し、その後、映像を提供していただいた神戸アーカイブ写真館館長の東充さん、長田区町の増田匡さんらがトークを交わしました。

「明日は太陽の輝く町に」上映

東さん、増田さんの紹介・挨拶が終わり、早速上映会が始まります。スクリーンには時代を感じさせる様な色褪せた映像が映し出され、ナレーションが解説し始めました。

昭和37年以前の長田区は、戦災を免れた木造建築の密集した地域でした。これを近代的なコンクリート建築に置き換えて、長田区を神戸の西部副都心として生まれ変わらせようというのが、この「大橋地区市街地改造事業」です。当然、地元住民からは賛否両論の声が上がりました。カメラは、改造事業に賛同してもらえるよう、行政側が一軒一軒事業者を訪ねてまわる所を映しています。当日司会・進行を勤めた、長田区町づくりコンサルタントの角野さんによると、こうした建て替えの合意形成の場の映像記録は珍しいそうです。

さて、ついに事業が始まります。開始に先駆けて思い出のある住み慣れた家を去っていく住人達の姿は、何処か寂しげでした。しかし、官民一帯となって工事は進められ、工事現場には「明日は太陽の輝く町に」と書かれた横断幕が掛けられました。取り壊された西神戸商店街の事業者達も、仮設店舗で営業を再開しました。長田の町は未来に向かって歩み始めたのでした。東京オリンピックの聖火ランナーが、再開発中の長田区を走って行く映像も、戦後復興の日本を象徴するようで、印象的でした。そして昭和40年、6棟のビルを含む約2.05haの土地が整備され、遂に再開発事業は完了しました。完成した集合住宅に入っていく地元住民達は、新たな生活への期待に胸を膨らませているかのようでした。

東さん、増田区長とのトーク

映像鑑賞後は、その後の西神戸の開発を記録した写真をもとに、東さんと増田区長が解説とトークをしました。

大橋地区市街地改造事業が完了した昭和40年以後も、西神戸の開発は進んでいきました。昭和43年には阪神高速や神戸高速鉄道、52年には市営地下鉄が開通し、ますます神戸の交通の弁が良くなりました。また、ジョイプラザや須磨パティオ、西神プレンティなど、今でも現役の商業施設がどんどん建設されたのもこの時期です。しかし新しいものが生まれていくと同時に、無くなっていくものもありました。昭和46年には神戸市電が廃止され、その影響で須磨付近の集客が無くなりました。49年には神戸デパート火災も起こりました。先程の記録映像の中に、今は無き市電が雑踏をかき分けるようにして走っていく姿がありましたが、当時の姿を知らない私でも、何処かノスタルジアを感じました。

新しいものが生まれ、古いものが消えていく、何事もその繰り返しです。しかしその中には、多くの人の想いや利害関係が複雑に絡み合っていて、簡単に考えられるものではありません。街づくりにおける合意形成は難しいです。正解もありません。しかしそれでも「明日は太陽の輝く町に」、そう先人達が願い努力して来た結晶を、私達は未来へ引き継いでいかねばなりません。

Text & Photo: Hiroki Tsuda